よく小説のコンテストで、斬新で面白い作品を求めています、と募集要項に書いてありますよね。
果たして、抜群に面白かったり、とびぬけてうまかったりすれば受賞できるのか?
というのはいつも公募勢の中で議論されることだと思います。
この記事を書いている人は下読み経験者なのですが、賞によっては、おそらく面白くて上手いだけでは難しいのではないかと感じます。
以下、その理由や、メジャー賞に箸棒の場合どうしたらいいか、などを書いていきます。
選考に通過できるスキルと受賞できるスキルはたぶん違う
下読みは途中選考に携わるので、ややカテエラかなと思っても(ジャンル違いなど、大きくカテエラしているものは厳しいです)、面白かったり技術が高かったりすれば通過させる余裕があるケースもあります。
しかし受賞となると、応募数の1%くらいになってくるため、選考を通過する技術とは、また求められるものが変わってくるのだと思います。
というのも、メジャーな賞の公募の場合、開催サイドは企業であることが多いです。
つまり、自社の優れた商品になりそうな作品に賞を与える傾向が強いです。
それが必ずしも技術的に、またエンタメ的に、応募作の中で最も優れた小説ではないケースもあります。拾い上げ作品(や作家)のほうが後に人気出た、などという状況ってままありますよね。
どんな作品に賞を与えるかは、その企業にとっての投資であり、何に投資するかは賞開催企業の自由だともいえます。
ですので、ある程度小説技術がある応募者にとっては、「え、私の作品のほうが上手いのに(or面白いのに)」という受賞作が生まれることもあり得ますし、そう思うのは別に異常なことでもないです。
webに最終候補作を上げてくれる人もいるので、それを読んだことはないでしょうか。受賞作とクオリティの差をあまり感じないな、と思ったことはありませんか?
正直、下読みしていると、受賞作より、下読み担当した作品のほうが面白かったような? と思うケースもあります(担当したので思い入れ補正が入っているのかもしれないですが)。
とはいえ、面白いと一人の下読みが思ったとしても、多くの人が同じように面白いと思うかは微妙なところです。そういうわけで、上位選考をする編集部と下位選考をする下読みとでは、必ずしも応募作品の評価が一致するわけではないです。そしてどちらの判断が正しいとも言えないです。
ただ、受賞できなかったから受賞作より技術的に圧倒的に劣るとか、つまらないとか、価値がなかったとか、あまり思いつめすぎないほうがいいのではないかと思います。
これはあくまで、いち下読みの私見ですが、選考を途中まで勝ち上がるには、面白さや文章技術は一定程度必要な要素(特に出版社が開催している書籍化賞)ですが、受賞にはもっと別の複合的な要素も絡んでくると感じます。
その出版社がその時欲しいものを書いたかどうか(トレンド感)、欲しい人材かどうか、最終選考委員の好み、のような運もかなり大きい印象です。
就職面接を考えてみてください。経歴がすごくても、なんかうちの社風と合わないな、と思って落としたりしますよね。あれに似ているのではないかという気がします。
公募はいろいろな人の思惑が入る上、創作物の面白さや優秀さを決める物差しも人それぞれです。そういうのが準奇跡レベルでかみ合わないと受賞まで行きません。
ですので、努力や能力がそのまま報われると、思いすぎないほうがいい=すべてを犠牲にして公募に挑むのはやめたほうがいいです。
そういう真面目な人ほど、心が深く折れてしまいやすいです。
また、受賞してプロになった後も、売れ線を追究する技術を求められるという話をよく耳にします。市場のニーズに応えていく力も大事かと思います。
メジャー賞に取り組んで結果が出ない時どうするか
売れ線じゃなくて自分の書きたいものを書きたい、曲げたくない、という人は、さほど営利にこだわらない地方文学賞や、個人開催賞、文フリなどイベントでの発表などを狙っていくのも一考かなと思います。
メジャーな公募で長い間認められない=駄作を生産している、と思い詰めない方がいいです。
そのレーベル(あるいは投稿サイト)から求められているものに応えられていないだけで、必ずしもあなたの作品のレベルが低いということを意味しません。
公募歴が長くてデビューできずにいる場合は、単純に技術が足りないからかもしれないし、あるいは応募先の選定を間違っている可能性もあります(なお寡作すぎるので公募機会が少ないという人は、あきらめる前にもっとたくさん書いて応募したほうがよいかと)。
そういう場合、第三者の意見を聞いたり、デビューへのアプローチ方法を練り直すことが大事かと思います。
昨今はプロデビューへの道も公募だけではないです。読者やフォロワーを地道に増やしていくことで認知度を上げて出版へつなげるという手法もあります(それも大変な道ですが)。
また、前述のとおり、プロになったら自由なものが書ける、というわけでもありません。なかなか企画が通らないという愚痴を吐き出しているプロも散見します。
書きたいものを書けないのがストレスに感じやすい人は、受賞してプロになることにこだわりすぎないほうがいいかもしれません。
プロデビューにつながらない小規模賞をいくつか受賞したセミプロくらいのレベルにいて、寄稿募集しているところに応募して好きなものを書かせてもらう、という立ち位置も気楽でいいのかなと思います。
どのみち、小説で生計を立てるのは難しいので、プロかそうでないかにこだわりすぎないようにした方がいいかなと思います。
まとめ
プロ作家という肩書はうらやましいかもしれませんが、よくSNSで言われている通り、人生を一発逆転できるほどのものではおそらくなく、そこにこだわりすぎると病んでしまいがちです。
そんなこと知ってて応募してるわという人もたくさんいると思うのですが、いつの間にか受賞作が書店に並んでいるのを見るのもつらいと思うようになっていたら、ちょっと気分転換することをすすめます。
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