- 長編小説を書くメリットは何なのかを知りたい人
- そもそも長編を書かねばならないものなのか? と迷っている人
- 短編と長編どちらを書くのが有利なのかわからない、と思う人
前回、短編公募の良さについて書いたので、長編も検討してみたい、という人のために、下読みサメダが、長編公募のメリットデメリットを考えてみました。
長編とは

短編の時と同じで、これが長編の枚数、と厳密に決まっているわけではありません。
ただ、だいたい最低、1冊の本にできるボリューム(あるいはそれ以上のもの)くらいかなと思っておくといいかもしれません。
具体的に求められる枚数は、出版社ごと、賞ごとに違います。
送り先の規定に合わせてください。
- 30字×40行で83枚以上167枚以内(小説現代長編新人賞)
- 400字詰め原稿用紙換算200枚から400枚の長編作品(小説野性時代新人賞)
- 40文字×32行で、80~130枚まで。(ノベル大賞)
「あー既定のフォーマット換算だとわかりづらいな……」という人は投稿サイトから手軽に応募できる賞もかなり増えているので、そういう賞を狙ってみるのもいいかもしれません。
長編を書くメリット
例えば以下のようなものがあります。
- 短編よりも世界観の広がりを書きやすい
- 投稿サイトでの発表時、短編より濃いファンがつきやすい
- 受賞すると単著デビューを実現しやすい
短編よりも世界観の広がりを書きやすい
短編はどうしても、短いストーリーの中でどうインパクトを残すか、という方向になっていきがちです。
しかし、長編は作中に入れ込める情報量が圧倒的に多いので、その分、自分の構築した世界観・キャラクターの個性を、読者に楽しんでいってもらいやすいです。
また、使える文字数が多いぶん、ストーリーの起伏も緻密に作れます。
そのため、読後の読者に、大河ドラマを1年走破したかのような達成感や、深い余韻を残すことが可能になりやすいです。
投稿サイトでの発表時、短編より濃いファンがつきやすい
長編連載は読まれにくいのですが、ちゃんと読んでもらえた場合、短編よりファンがつきやすいというメリットがあります。
長編をwebに上げるときは、一気に全文公開ではなく、一定頻度で定期更新していったほうが長くランキングなどにとどまりやすいので、比較的、読者を集めやすいです。
受賞すると単著デビューを実現しやすい
長編公募は、書籍化確約の賞が短編より多いです。
作家デビュー=単著を出すこと、と考えている人は結構多いです。
このような願望がある人は、長編に取り組む意味が強いです。
また、今流行しているもの(=売れ線)を、短いスパンで書ける人は、特に相性がいいので、どんどん長編公募に臨んでいくとよいかと思います。
長編を書くデメリット
例えば以下のようなものがあります。
- 完成までに必要なもろもろのコストが大
- 人によっては永遠に書き上げられない
- 評価を得られない時に受ける心理的ダメージが短編より大きい
完成までに必要なもろもろのコストが大
一般的に、長編は短編よりも書き上げるのに、たくさんの制作コストがかかります。
執筆時間だけではないですよね。
構想を練る時間、下調べの労力。
人によっては、それにかかる資料代や交通費、電気代、推敲を紙で行う人はプリンタ代やインク代や紙代も。
自分の頭を使い自分で書くので人件費はタダ。つまり金のかからない趣味だ、と思うかもしれないのですが、自分の時間というのは有限で貴重なものです。

これは歳を重ね、寿命が減ってくるにつれ、特に感じがちです……
他のことに使えたはずの時間を使い、あえて99パーセントが落選する公募などに応募するために書くわけなので、それを行う輩は相当なギャンブラーです。
サメダの読書感想サービスでも、よく公募に勝ちたいというお悩みをうかがうので、それになるべく寄り添う方向で考えるのですが、一方で、公募に人生を賭けすぎると後悔するということはそれとなくお伝えしています。
公募に入賞するとその時は多幸感があるのですが、公募で受賞することは、長い幸せや安定を保証してくれるものではないです。
こんなことを公募ブログで書くと広告依頼とか来なさそうですが、公募は、「安い値段でクオリティの高い商品を仕入れるための、持てる者による搾取システム」という側面が、どうしてもついて回ります。
公募にかけるしか人生逆転できないと思い込みすぎず、公募する側にとっての都合のいい人間になりすぎないよう、持ちつ持たれつの感じで、適度に距離感を保って付き合ったほうがいです。

3桁回数受賞したことがある人の体感ですが、公募で人生はそこまで逆転しません。
なかなか受賞できないという人は、現在の商業小説に向いていない作風とも言えるので、デビューするには、公募以外のアプローチを考えてみたほうがいいかもしれません。
また、誰かに読んでもらうのもいいかも。
ブラッシュアップの方向性がよくないとか、カテエラだとかという可能性もあります。
人によっては永遠に書き上げられない
短編は何本も書けるのに、長編になるととたんに書けなくなる人がいます。
あとは伏線を張り込みすぎたり設定を壮大にしすぎたりして、落としどころが見つけられず完結させられない、という場合もあります。
とはいえ、長編執筆の適性がない人は、無理に長編を書くこともないので、掌編、短編、中編など自分の得意分野を伸ばしていくのがいいかもしれません。
短い作品には、長編よりもWebで気軽に読まれやすいというメリットがあります。
なお、どうしても長編を書かねば、という人は市民講座などに行き、人に助けてもらいながら執筆するのもいいかもしれません。
評価を得られない時に受ける心理的ダメージが短編より大きい
長編は作品にかかわる時間が長くなる分、思い入れが強くなりがちです。
そのため、低評価を受けたときの心理的な割り切りが難しくなりやすいです。
思い入れのある作品を、投稿サイトに上げたときにPV・評価が伸びない、公募で立て続け1次落ちする、そういうのはつらいですよね。
また、創作界隈にとって、パクり被害は対岸の火事ではないです。
パクりをする人間は、被害を訴えにくいギリギリのラインを見極めるのがうまいので、長く創作をしていると、泣き寝入りすることは一度や二度ではないです。
たとえば、こんな場末のブログの記事からネタやアイデアをピックアップして同じような記事を書いて企業サイトに納品するライターもいるくらいです。スマホ新調時にもれなく、その記事の報酬で課金したソシャゲにログインできなくなる刑に処せられるといい。
そういうわけで、自分の話は売れ筋じゃないので大丈夫、などと思っていても、普通に模倣されたりします。
また、昨今AIによる学習もあるので、長編をwebに置いておくという選択の是非は、ますます難しい問題になりつつあります。
長編を書いてweb(やイベント)で発表するということは、これらのリスクもあるのだと念頭に置いておく必要があります。メンタルが弱い方にはあまり向かないかもしれません。
まとめ
長編は売れ筋が量産できる人が取り組むと効果的。
思い入れが強くなりがちなので、作品と自分をなるべく切り離して考えるのが大事。















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