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公募落選の地獄シチュエーション4選

落選ショックが激しい公募シチュエーションとは何か記事 公募ガチ勢による公募コツ

公募をしていると、まあ無造作に自信作が落選していきますよね。

何度か公募にチャレンジしていると、だんだん落選にも慣れてくるかなと思うのですが、それでもなかなか慣れない状況の落選がいくつかあります。

公募歴10年超のサメダが、これは特にメンタルに来るのではないいか、と思う公募落選シチュエーションをまとめてみました。

エッセイ公募に落ちる

エッセイ公募は規定文字数が少ない場合が多く、文章公募としては比較的取り組みやすいです。

そのため、気楽に応募しやすいのですが、条件はみんな同じなので応募数が大体とんでもないことになり、選考者の心に響かなければあっさり落選になります。

エッセイ公募で落ちて、何がメンタルに来るのか?

これは応募してみるとわかるかと思うのですが、自分の人生を否定された感があるからです。

エッセイって、実体験を書いて応募する人が大多数だと思います。

つまり自分の実体験が、受賞作の人のそれより劣る、と感じてしまいがちです。

実際、受賞作は、だいたい生死にまつわる(衝撃的or感動的な)体験のものが多く、結局人生経験が豊かな人が賞を取るのか……それに比べて自分の人生とは……

と、ただの公募の落選が、己の生き方そのものに問題があるように思えてきてしまう点が恐ろしいところです。

もちろん選考サイドには、そんな意図はないとは思うのですが。

気楽に応募できるからと言って、人生で一番大事で批判などされたくない体験を全身全霊で書くのはちょっとやめたほうがいいかと思います。

大体において、自分の人生で一番の体験を書いても、世の中には上には上がいるので、体験のインパクトで勝とうとすると、ガチめにショックを受けるので気をつけたほうがいいです。

サメダ
サメダ

エッセイ公募は怖い、と言いたいのではなく、落選するとそういう気分になる可能性もあることを念頭に置いて応募したほうがいいかな、という感じです

何年もかけて制作した作品がボツ

これ書いている人(公募歴10年超)の私見ですが、何年もかけて制作した大切な作品は、そもそも公募に使ってはダメです。

そういう作品は、プロになった時のために取っておいた方がいいです。または自分で販売したほうがいいです。

時間をかけて作った作品は、たしかにクオリティは高くなりがちで、選考通過の期待が高まるかと思います。

その反面、思い入れが強くなりすぎているので、落ちた時の衝撃が大きくなりがちです。

こう言っては何ですが、公募での落選とは、取りようによっては、その作品の制作に費やした時間と人生選択から否定される気分になると言っても過言ではないため、制作にかけた時間が大きいほど、落選時の悲しみが深く、そこから立ち直るのが容易でないです。

また、落選の悲しみは、怒りにも変わりがちです。

応募先に不必要な量の怒りを向けてしまうと、世界に嫌いなものが増えて生きづらいです。

嫌いな企業の商品(出版物など)の研究をしたいとは、なかなか思えないですよね。

そうすると、応募先の受賞作や最近の刊行物の理解度が低いまま応募することになり、また落選、という負のサイクルが生まれやすいです。

怒りをこじらせると、応募するたびに応募先の選択肢が減ってしまうことにもなりかねません。

サメダ
サメダ

賞狙い用の作品と、自分の趣味と嗜好を練り込んで大切に作った作品で、きっちり用途を使い分けたほうが心が平穏かと……

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最終選考で落ちる

これもなかなか心が折れるシチュエーションのひとつかと思います。

プロ・書籍化が約束される賞はもちろんですが、そうでない小規模賞で候補に挙がってから落ちるのもそれはそれで言葉にならないものです。

なまじいいところまで選考を勝ち抜いているだけに、一度夢を見せられてから地に叩き落される感覚は、ショックという言葉では足りません

発表までに内定通知が来る賞の場合、それがなければ落選だとわかるので、ある程度ゆっくり落選を受け止めることができます。

ですが、そうでない場合、ギリギリまで焦らされてとどめを刺されるので、心の疲労度はトップクラスです。

やきもきしてほかのことが手につかず、メール着信がないか更新し続けた時間を返してくれよ……と虚無になります(そこは自己責任ですけど……)。

ここから立ち直り、再び公募の戦線に復帰できる者だけが結果を出せます。

がんばれとしかいいようがないです。

同じ公募に応募した99%くらいの人は、まずそこまでたどり着けなかったわけですので。

自分だけが落ちる

これは、何回も開催している(応募経験人口が多い)賞で、起こりがちな悲劇です。

人がSNSで発信するものには、けっこう自慢やマウントが多いため、フォロワーが応募している賞が目に入ることも多いかと思います。

その賞において、フォロワーはそれなりに選考を通過したり受賞していたりしていて。

それを見ていると、

「ああ、この人がこのくらいの選考まで通過できるなら、自分にもチャンスがある賞なのかな」

と思って、その賞に応募してみる。

しかし自分だけが一次落ち

あるあるです。

あれ? レベルとしてはこのフォロワーさんと同じくらいの技量だと思っていたけど、もしかして全然及ばないのかな……? などと打ちひしがれたり。

よく言われるのは、「同じくらいかなと思うレベルの人は自分より高くて、ちょっと下手だなと思う人が自分と同じくらいのレベル」という格言です。

ただ、下読み経験者の観点から言わせてもらえば、賞には相性があります。相性が悪いと、レベルが高くても通りません。いわゆるカテエラです。

下読み記事こちら↓

自分だけ一次落ちした理由が、自分のレベルを見誤っているせいなのか、カテエラなのかは、何度もいろいろなところに応募して試してみないとわかりません

実際、フォロワーさんの多くが選考通過している賞で自分だけ落ちると、(人によっては)公式から公開処刑されたような気分になりますし、何度も同じ人が受賞すると、「賞運営サイドは特定の常連を贔屓しているのではないだろうか」と闇落ちしたりしてしまうこともあろうかと思います。

これ、わかります。

なんでこの人は受賞の枠数が少ないのに複数作通過しているの? 自分は落ちたのに。などと考えると悔しいものですよね。

とはいえ、選考の内情は応募者には分からないですし、賞開催サイドは、自社が欲しいと感じた作品を採っただけの話です。必ずしもクオリティが高い順に取ってるわけではないです。

また、あなたがキラキラしているように感じるあの人は、あなたよりはるかにたくさんの回数、応募した結果、受賞を勝ち得ている、という可能性もあります。

ともあれ、あんまりマイナスに考えすぎないほうがいいです。

あなたの作品を落としたような、あなたのセンスを重んじてくれない賞のことは、早々に忘れるのがメンタルにやさしいです。このへんは、就職活動や交友関係と同じです。

投稿する小説サイトを変えてみるという手もあります↓

もし、あなたがメンタルが豆腐だという自覚がある場合、友達が応募を宣言している賞に応募する時は、結果が出るまで黙っておくのがベターです。

選考に通過して祝ってほしければその時点で言えばいいですし、落ちたら貝になっておけばいいです。

SNSで選考通過のよろこびがよく流れて来るかと思いますが、たとえば、小説の1次は通常9割程落ちます。

つまり、よろこびつぶやきの裏に数倍の、落ちて貝になっているフレンズがいるので、あまり自分ばかりが不幸だと思いつめすぎないことです。

まとめ

公募界隈には、いろいろな落選地獄が用意されています。

しらないうちに地獄めぐりしてるかも。

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